fuyunohinotegakariの日記

写真をあげたり日記を書いたりしますが、ほとんど泣き言格納庫です。

たまには自分を褒めようや(休職と復職にまつわる色々)

今の会社に絶対に入りたい、と思ったのが大学4年生の秋だった。何を使ってでもこの会社に入って、雑誌の編集者になりたいと思い、とんでもない方法も使いながら、なかなかの倍率をくぐり抜け、ご縁あってその会社に入社し、雑誌の編集者になった。(どんな方法を使ったのか、という具体的な内容は、まだ恥ずかしくて笑い話にできないが、いつかしたい。笑)

そのときに考えていたことを、このブログに書いていた。これも恥ずかしくて、一旦下書きにしていたが、いいこと言っているなと思ったのでさっき戻した。

fuyunohinotegakari.hateblo.jp

最近、宮﨑駿の最新作「君たちはどう生きるか」をみた。これが、本当に素晴らしかった。周りの人と話すと「よくわからなかった」と言われることばかりなのだが、こんなにすごい作品をどうして、と思う。母に「説明がなさすぎて、私の年代ならなんとなくわかるけど」と言われて、確かにと思った。なぜ私がこの作品をこんなに面白いと思えるのか、というとそれはもう確実に、国文学と教職課程を真面目に勉強したからだ(あと、ジブリ作品を他にも少しは観ているからてのもあると思うけど)。

時に泣きながら大学で学んだ国文学と教職だが、本当にやってよかったんだな、と入学してから10年経って思う。私が通った国文学科の何がすごいかというと、上代から近代まで、ある程度は、体系的に学ぶことになっている。好きなところだけをやる、ということができない。他の大学に通ったことがないからわからないけど、何か一つの分野を網羅し、体系的に学ぶことができるのは、今にして思うとかなりすごいことだ。さらに、教職課程を学んだことによって、小学校・中学校・高校で教わる国語の範囲と、人間がどうやって育つかという教育的な基礎知識も学ぶことができた。これが、私が学科で学んだことを、とても立体的にしてくれた。

ではどんなメリットがあるかというと、正直学んだことはほとんど忘れてしまったが、まず日本語で書かれたものを読むときに困ることがない。

困ることがない、というのはつまり、わからないことがあったとき、適切に調べることができるということだ。そしてそれは、文学、批評や説明的な文書などにとどまらず、アニメーションや映画作品、ドラマなど、日本語のシナリオが存在するものにも応用が効く。この応用が効くことこそが、間違いなく私の武器になっている。その分野の専門的な知識はなくても、何かのとっかかりを掴むことができる(でも、他言語で書かれたものは全くわからない。今は翻訳を機械が結構いい精度でやってくれるので、これが非常にありがたい)。

私がいまやっている仕事は、雑誌のページを作ることだ。もちろん自分が企画を立てるわけだが、そのお題によっては自分が苦手な分野に足を踏み入れる必要もある。知らないことを記事にすることはできないので、適切なリサーチと取材を重ねて、構成を組み立てながらテキストやビジュアルを作っていく。

知らないことを一から学ぶのは難しい。苦しみながらやることもあるけど、雑誌作りという点では紛れもなくプロフェッショナルが集まるこの会社で、半端な仕事はできないし、これ美味しいな、と感じることはあっても、その美味しさだけで作れるページは存在しない。自分の興味や好奇心を満たすことができる仕事ではあるが、「完全に満たす」ということはできない。だからまた次の企画を立て、ページを作ることができるのだと思う。

この仕事をはじめて、6年目になる。そのうちの半年弱は休職していたわけだが、まぁ5年以上やったんだから結構やったのかもな、と少しは思える。そろそろ「もう新人じゃないんだから」と言われても全然おかしくない。

なぜ休職に至ったかというと、自分を過信して十分な休みを取らなかったからである。それでなぜ復職したかというと、自分のキャパシティを越えてさえ、情熱がなくならなかったからだと思う。こうやって書くと照れくさいし、めちゃ体育会系な感じもするけど。復職する際に会社から「すぐに編集業務に戻らず、一度バックヤードに就くこともできる。人事としては、本当はそうしてほしい」と言われたときに「編集部が迎えてくれるのであれば、自分の席に戻って今までの仕事がしたい」と伝えて、そのように取り計らってくれた。すぐに元のような状態に戻ってしまわないように、なんだかんだあれど仕事量の調節もしてくれている。そして復職して半年になる。これって実は本当はすごいことなのかも、と最近ふと思う。

 

私を奮い立たせてくれる、たくさんの大切なものの中の一つに、関ジャニ∞がある。長年いたリードボーカル2名の脱退があっても、らしさを失わずに関ジャニ∞を続けてくれ、新しいエンタメを作り続けている。

特に、5人になって初めてのアルバムを掲げたツアーのキャッチコピーはすごかった。

たまには自分を褒めようや。関ジャニ∞でよかった。

表には出せないような事情や、ネガティブな思いなど、いろんなことがあっただろうに、「関ジャニ∞でよかった」と言ってくれたこと、さらにそれを、たまには褒めてもいいよね、と捉えていると教えてくれたこと。

そしてまた、

ファンにとって「〇〇でよかったって、みんなもたまには自分を褒めようよ、と思うことを教えて」と投げかけてくれたこと。

これがどんなに、街に埋もれた、なんの変哲もない、関ジャニ∞から観てメディアの向こう側に生きているただの私たちを讃えてくれているか。

就活の時期に、私が迷走しているのを心配してくれたバイト先のおじさん(と書くとだけど、とある新聞社の論説委員の方です)が、「どんなときも、これでよかったと思えば、すべて大丈夫になりますよ」と声をかけてくれたことがある。そのことも思い出されて、ちょっとダメかもと思うときも、気持ちを前向きに切り替えることができる。

とはいえ、ただ無心に肯定するわけには、もちろんいかない。

結婚して、夫も義理の親(と言うにはまだ若干これも、まだ照れがあるわけだが)も含め、家族や友人はみな私を心配してくれているが、きっと本音では、鬱になるような仕事なんか辞めてしまえばいいのに、と言いたいと思う。それでもやりたいことなのだから、とぐっと堪えて、復職したことを否定しないでいてくれることも、有難いという言葉では言い表せないほど、当たり前のことではないな、と感じる。

(そして大学時代の友人で、私よりも頑張って仕事をして、本当にすごい、とリスペクトを込めて心の底から思える人の存在も大きい。今日その子に会って「小田切ヒロがYouTubeで半生を語っていて、絶対に見て」と言われて、さっき見た。これを見て「よし明日からも頑張ろう」と思った気持ちを共有できる友達がいることの嬉しさ、ありがたみに打ち震えている。←すぐ感動する)

 

そう、すぐ感動する。これも私らしいなと思う。何を見ても大抵どこかには感動する。感動というとちょっと浅はかだから、感激、と言い換えたりもするけど、どちらも似たようなものだ。来年30になるけど、まだまだ感受性が生きている。このことも私にとっては「たまには自分を褒めようや」だ。

今日、上に書いた友人と写真展「ソール・ライターの原点 ニューヨークの色」を見てきたのだが、それを見てまた飽きずに写真が撮りたいな〜と思った。写真を撮ったり見たりすることが好きで、そんなにたくさん毎日撮るわけではもちろんないけど、これも中学生の時からのことで、まだ好きって思えるのっていいじゃん、と褒めたくなった。

歳の近い同僚とよく「転職を考えるけど、今やっていることよりもやりたいことがない」という話になる。今やっていることよりも情熱をもって向き合えるものを見つけるのは相当難しい。好きでやりたくて5年以上何かを続けた、って、ある程度、楽しくてやりがいを感じられていて、さらにどこかしらは得意な部分があるからだと私は思う。

こうして文章を書くことも好きだし、何かを見たり聞いたり、人と話をするのも大好きだ。だから今の仕事を続けられているんだろうな、とか、仕事をしている時以外の自分も含めて、まぁ悪くないよって思えるんだろうな、と今は思う。

冒頭にリンクした、過去の日記の中に「『時代を捉えてみたい』という欲求」というフレーズがあって、なんとなくその思いが今もあるのかもしれないなと思う。これは、自己実現のために! というよりは、たんなる興味として。これがきっと、私の感動しやすい部分にあらわれているような気がする。ついに死んだか、と思ってもなかなかしぶとい、私の豊かな感受性と空想欲。

そんな自分をたまにはまじめに褒めてもいいじゃん、と思う盆休み。明日は仕事して、部屋を片付けたりしないと(帰省している夫がそろそろ帰ってくるので焦り出した)。