fuyunohinotegakariの日記

写真をあげたり日記を書いたりしますが、ほとんど泣き言格納庫です。

すんごい疲れてしまって、定年退職された最初の上司に甘えてご飯に連れてってもらった。私の今の状況をよく分かってくれて(そりゃそうだよね)、背中を押してくれたような気がした。本当に困った時は、心理的にも身体的にも遠いところにいる異性に相談すると決めている。彼らは適度に私を宥め、自分の近況を話してくれる。私が何を言っても、ただ私が何かを言っているという事実を受け止めてそばにいてくれる。感謝の気持ちをこめて、最近読んで面白かった本をプレゼントした。いまは日本語の先生をしているそうだ。懐く相手を間違えなかった入社当時の私を褒めたい。そしてそんな自分に精一杯優しくしてくれた会社のお父さんにありがとうございますと言えてよかった。

中学生の時に生まれて初めてライブハウスで見たバンドのボーカルが亡くなった。ママが毎週のように通い詰めていたバンドだった。「夏って夜が長くていっぱい遊べていいな」と言いながらカレーを作って遊びに行くママを、そういうもんだと思って送り出していたけど、今思うとなんかすごく不思議な日々だったような気もする。ママは酔っ払った仲間たちを終電でよく連れて帰ってきた。SとYは私が夏祭りハブられてメソメソしていた日に雨乞いをしてくれた。Rは酒癖が悪くて、ママが「Rが私のビーズバッグにげーしちゃって最悪」と言って楽しそうにしてた。Jは私に「これあげる」って『電車男』をくれた。Tは毎晩のようにママとウィルコムで恋バナをしてた。Hちゃんは東京に遊びに来るたびにうちに泊まっていろんな話をしてくれた。Dは飲むとすぐ寝るのでゴマをかけられたり眉毛を書き足されたりしていた。大人は本当によく飲むんだなと思った(と同時に私はハタチになるまで絶対飲まないと決意した)。みんなのお母さんとなんか全然違うママのことを「なぜ?」と思った時もあったけど、結果的に私は自分が置かれていた優しい環境をいま愛しく振り返ることができているので、ママの子育ては成功したといえると思う。なかなか面と向かって言えないけど、少しずつ伝えていけたらいいなとか、そんなことを最近すごくよく思う。

そして立て続けに恩師が亡くなった。その人は中1の冬から私に英語を教えてくれ、本当に絶妙な距離感で私の進学を支え、見守ってくれた。勉強するとこんなに良いことがある、ということを身をもって教えてくれた人だ。とても口が悪かった。凡ミスすると「舌を噛み切りなさい」とか「窓から飛び降りなさい」とかいうのですごく怖かった。だけど愛情深くて、責任を持って私たちに中学・高校英語のすべてを叩き込んでくれた。受験も大詰めのころ、「あなたは単語もイディオムも全然覚えられないのになぜか英文が読めると思っていたけど、読解力が素晴らしいのね。いいからもうたくさん英文読んどきなさい」と言われたのが嬉しかった。還暦に教え子を集めてパーティをやると言っていたのに、コロナで叶わなかった。悲しい。そのバンドのボーカルの人も恩師も、もし天国行きの船が豪華客船で大人数乗りなら、きっと同乗しているはずだ。全然交わらない二人のはずだけど、なんとなくそんなふうに思ってしまうようなタイミングだった。どうぞ安らかに。

20代のうちは何があっても仕事優先でめちゃくちゃに身を捧げる、と決めて入社して、実際生活のほとんどを仕事に注ぎ込んでいるけど、ひとまずはこれで良いのだと思う。多分もうじき異動になると思う。あまりネガティブな気持ちはなくて、そこでもやれることを思い切りやれると思う。飽き性な自分の好奇心がこんなにも尽きないと思わなかった。しんどいしかなりギリギリだけど、自分のキャパに期待はしていなかったし、とにかく続けられそうな仕事に就けていることに感謝と、少しでも余裕ができるように経験値積むことが、私の目下の課題のように思う。明日も頑張りたいな。