fuyunohinotegakariの日記

写真をあげたり日記を書いたりしますが、ほとんど泣き言格納庫です。

持ち運べる部屋

結婚して一週間。そしてこの4ヶ月間、シングルベッドを並べて寝ていた夫(としか言いようがなく、いまだ口がしっくりもこず)と寝室を分けて三日目。

衝撃!

自分の寝室を設定するにあたり、これまでずっと使っていた照明と本棚と椅子のしっくりくる定位置を見つけたところ、甘い記憶化しかけていた私の愛しい部屋が、ここに突然現れた!

つまり私が恋しかったのは! 一人で暮らした某マンションの何号室ではなく、小さく音楽かけて、小さな明かりをつけて、ひとりでゴロゴロするこの時間だったのか?

いや、違う。ずっと、某マンションの何号室のことを思い出していたはずだ。差し込む角度により色や形を変える太陽の光、窓を開けるとふうっと風が飛び込んでくるキッチン、重くて暗い色の唐突に古いドア、電気をつけずともめっちゃ明るいトイレ、ブラインドの隙間に見える幹線道路、キッチンと洗面台を遮るカーテン、ダイニングテーブルからすぐ手の届くコンロ等々を思い浮かべては、しんみりしていた。しかし考えてみれば、どれもハード面の話だ。

たったいま私がいる、この凡そ5畳ほどの部屋を構成するもの。実家時代に導入したIKEAのクリップライトのオレンジのあかりと、視界に入る椅子や、一人暮らしを始めてすぐに買った無印のパルプボードボックスと、そこに入りきらない本、そして白い壁にかこまれて、深夜のベッドのうえで一人きりでいる。実はこの状態こそが、私の部屋のアイデンティティだったのかと思うと、とても感慨深い。まさか、ポータブルだったとは…。

私は、夫と二人で住むためのこの家に引っ越してきてからさっきまで、ずっと自分の部屋を恋しく思い出してきた。片時も忘れることはなかった。眠りから覚めた瞬間、玄関から出るときの動作、帰ってきてドアを開けたときの匂い、休日の昼間のリビングの窓際…何もかもが自分の部屋を思い出すきっかけになった。

それと同時に、4年と少し経験した一人暮らしのあまりにも混沌とした日々は、もうきっと何か起こらない限り、過去化してただ思い出されるだけの甘やかな記憶になってしまうんだと思っていた。しんとしていて一人きりで、寂しくて、どこか不安で、だけど思い出すとそれさえも恋しいという感傷が、自分の部屋のアイデンティティを「独身かつ社畜OL生活」の産物だと思い込ませた。

だけど本当は違って、私の部屋と生活は、豊かな孤独とともにあると今ならわかる。

前にここにも書いた、「好きな音楽聴いて、好きな文章読んで、好きな写真見てるとき、それを心の底から楽しめる気持ちとからだのとき」。そんなふうに感じられるーーつまり自分が一人きりの瞬間を過ごしながら幸福だと感じてきた空間のすべてが、私の部屋のソフト面そのものだったということだ。

そして何よりも、このソフト面は、人と住んでいても、ベッドと本棚とそこそこの家具を置けるスペースとコンセントの差し込み口さえあれば再現できる、ということが嬉しくてたまらない。

もっといえば、いま、私が私らしくいられる状態を理解した、この感覚さえ忘れなければ、これを守り続けることができるのであれば、たとえこの部屋すらなくても、私はずっと私らしくいられるかもしれない。そう思えることが、結婚して、目に写る景色が静かにがらっと変わりゆく自分にとっては、大きな希望に思えて仕方ない。大切なところは変わらずにいられる方法を探しながら、その都度形を変えて暮らしていく、ということがもしかしたら私にもできちゃうかもしんないな、と思えた出来事だった。