fuyunohinotegakariの日記

写真をあげたり日記を書いたりしますが、ほとんど泣き言格納庫です。

鬱っぽいのがひどくなって、病院に通うようになってから1年ほど経つ。今までみたいに、死にたくて動けなくてずっと泣いてるみたいな、ひどい発作みたいなのはなくなったけど、かわりになんにも感じない、感受性死んだか?みたいなときがある。

校了したのにもかかわらず休みがなかったのでへとへとで、さすがに今日は1日伏せってしまった。薬を飲んだのに眠れない。

すっごく泣きたいのに泣けない、泣いたらスッキリするんだろうか、と思うけど何を見ても面白くない。好きなアイドルが面白かったと言っていた映画が1時間半ほどだったのでこれなら見られるかと思ったが、やっぱり飽きて半分くらいで止めてしまった。

そういうとき最終手段で見るのは関ジャニ∞の映像で、まだ7人で当たり前のようにドームでコンサートをやっていたころのものだ。つけた瞬間にボロボロと涙が出てくる。

渋谷すばるが脱退すると知ったとき、これは人間宣言だと思った。同時に、アイドルとしての渋谷すばるにはもう二度と会えなくて、これって死ぬのと一緒だ、とわかった。渋谷すばるという人間は生きている、幸福になるためにグループを去る、アイドルを辞める。そのかわり関ジャニ∞としてのすばるは死んだ。

やりたいことがあってグループを去る、もう関ジャニ∞のフロントで歌う彼を見ることは二度とない、たったそれだけのことなのに、受け入れるのに時間がかかった。

今年の夏のエイトの周年イベントを見にグループ最大規模の会場で行われたコンサートを見に行った。さすがにもう大丈夫でしょうよ、と思っていたけど、なんだか全然違う物を見ている気分だった。これはこれ。素晴らしかった。ギターを弾く横山裕の姿をみて泣いた。

だけどどうしても物足りなくて、すばると錦戸がいたときの、ピリッとした関ジャニが恋しくて、もう二度と見られないと思うけど、DVDをつければいつでもそのときの彼らに会える。そのインスタントな距離感と、絶望的に戻らない時間の感覚の差があまりにも激しくて、不思議な気持ちになる。泣き叫ぶみたいに馬鹿みたいな声量で、愛だの恋だの、日常の悲喜交々や応援ソングを思い切り歌うすばるが好きだった。もうその彼は映像の中にしかいない。それでいい。満足すると眠気がくるはずなので、じっとりとした今夜をやり過ごす。