中学の時の話だ。歴史の先生が、授業の導入で「日本で最初のロックバンドをわかる人はいるか?」と投げかけた。
私は即座に、心の中で(Hi-STANDARD)と思い浮かべた。母が常々「ハイスタの前はこんなバンドなかった」というようなことを言っていたからだ。(あ、でも清志郎もロックかな?)と思った。始祖っぽい見た目してるしな。
しんとする教室で、誰も手を挙げなかった。あともう少しで、私が我慢できなくなって「ハ」と口に出すか出さないかという時に、先生が「そうか誰もわからないか。これはね。YMOだ」と言って、黒板に大きくYMOと書いた。
私は、そうかと思った。(それをいうなら、はっぴいえんどでは?)とイライラした。記憶が正しければ、その先生は、その日の授業で人民服の話をしたかったようだった。
変な先生だった。別の日には、「〇〇新聞をとっている家、手を挙げて」と順々に新聞購読事情を一通り調査した後、「新聞は朝日が一番正しい」と言うような人だった。そういう中学校だったので、当時の私はいつも苛ついていた。ざらつく頭と心をしずめるために、帰りの乗り換えの駅で降りて家までよく歩いた。幹線道路のオレンジの街灯の下や川沿い遊歩道を、ケータイで写メを撮ったりしながらとぼとぼ歩いた。
いつもポケットにiPod classicを入れていたので、ブレザーの片側がずっしり落ちていた。そのころチャットモンチーをよく聴いた。
どんなに犬が吠える時も、私たちはキャラバンを進める。それと同じく、私が犬のように吠えていても、キャラバンは黙々と進む。そういうものだ。
今週、写真をプリントアウトした。何年ぶりだろうか。
2Lサイズで16分割できた。3シート分オーダーした。「シールにしますか?」と聞かれたので、そのようにお願いした。帰宅してハサミでカットしながら、ツネくんの訃報について夫と話した。チャットモンチーは、くみこんが抜けたのが悲しすぎて聴くのをやめてしまったけど、そのあとツネくんがサポートで入ったと知ってすごく嬉しかった。残念ながら、一度も見る機会はなかったけど、ハイスタは4年前に夫と行けてよかった。
小さくてかわいい。ライターと比較するとこんなに小さい。
一枚、冷蔵庫に貼った。結婚した日に夫が買ってくれた花だ。すごく嬉しかったのに、それを上手く伝えられなかったことをずっと後悔している。