fuyunohinotegakariの日記

写真をあげたり日記を書いたりしますが、ほとんど泣き言格納庫です。

世の中のことわからない

世の中のことわからない

  • キイチビール&ザ・ホーリーティッツ
  • ロック
  • ¥255

よく書いてるけどキイチビール&ザホーリーティッツの歌が好き。なんて頼りないのだと思う。

会社がとにかく暑い。今日のような涼しくて過ごしやすい日でも、Tシャツでないと汗だくだ。しかし通勤は肌寒いので、しばらく着ていなかったカーディガンを出してきた。

一枚で決まる変なTシャツにアクセサリーをつけるのが最近いい感じ。大きな指輪とか腕時計とか。

髪をどこまで伸ばすか悩む。ドレス着て写真撮るなら伸ばしてたほうが良いのか。先々のことを考えるのが苦手だ。最近この性質のことを「流されやすい」とも言うのだとようやく気づいた。

でも場面でしか分からないことばかりだ。そして分からないと表明するのは、この状況では何も判断できない、つまり「これ以上考えることを一旦保留します」ということ。それの何が悪いのか、むしろ慎重ですらあり良いだろう、とか思うからこういう性格なんだろうな。

最近書いて考えたいと思っていることは下記の通りです。

・自分達を認めろ、という復讐のあり方について または勝利とは何か

・愛の技術(家族と共同生活の関係)

・責任感

 

 

亀梨くんへ

 こんばんは。いつもお世話になってます。

 ひとつの戦いが終わったので、ご報告をと思いました。

 最近はあなたの名前を唱えることもだいぶ減ってきましたが、昔から困った時は、なんらかの形で、まるでそばにいて寄り添ってくれているように私に力をくれたあなたに、感謝もこめて、近況報告です。

 もう長いこと私の生まれた意味を疑わせてきた、家父長制的なプレッシャーを、ついに解消することに成功しました。文字通り家を継ごうとしている私の母も、嫁いでいった母の妹も、私のために集まってくれ、祖父母へのアプローチをサポートしてくれました。私は祖父母としっかり話すのがもう4年ぶりくらいでしたが、おかげで自分の意志をはっきりと伝えることができました。母も「50年の戦いが終わった、明日死んでもいい」と言っていました。離れたところに住む私の父も、私が自由にいられることを祝福してくれました。

 私が小学生の頃から、アイドルを、亀梨くんを必要としていた理由はただひとつ、現実があまりにも辛かったからです。あらかじめ決められたことをどれだけひっくり返せるか。人の期待に惑わされず、自分が一番自分らしくいられるようにはどうしたらよいか。それがずっと私のこれまでのテーマでした。私にとって亀梨くんは、常に大きなプレッシャーに立ち向かいながら、自らの意志を失わずにずっと輝いている、心の拠り所のような存在でした。亀梨くんが、同じ時代を生きることを讃えてくれながら、一緒に頑張ろうといつもメッセージをくれることが、本当に力になりました。

 あの頃のKAT-TUNが「your precious only one 必ず出会えるさ」「Somewhere どこかにいる 大切なonly one」と歌っていた事実に助けられていました。自分の人生に立ち向かって、と言われている気分でした。あの歌があったから、私は自分の人生を生きる意思を持つことができました。そして、亀梨くんがKAT-TUNを続けてくれていること、本当に時がたっても変わらずにいてくれること、亀梨くんの中の人が本当はどんな思いで、どんな気持ちでステージにやカメラの前に立っているか、私の知るところではありませんが、実際に「KAT-TUN亀梨和也」を続けてくれていること、折に触れて「Precious One」を歌ってくれていること、その一つ一つが私にとっては大きな光でした。

 自分の人生に何か大きな出来事があって、ひとつ達成したな、と思えるとき、いつもあなたのことを思います。もう亀梨くんがいなくても生きていける、と思います。でも、亀梨くんが頑張り続ける限り、私も同じ時代を生きる人間として、頑張ろうと思えます。あなたのことが大好きだという気持ちを、ずっとずっと尊重してくれてありがとうございます。あなたがいなくても大丈夫だけど、いてくれたらすごく嬉しいし、私もまだまだ頑張れます。亀梨くんの中の人の思いが少しでも報われますように。お互い頑張りましょうね。

いまさら2021年下半期振り返り

そういえばやってなかったので書いとこう。

上半期はこちら。

fuyunohinotegakari.hateblo.jp

 

7月。初の大仕事(全然うまくいかず)。人とよく会い、よく遊ぶ。校了してすぐメンタル完全ダウン。EAPに電話。友人に紹介された病院の予約が取れ、通院スタート。好きでよく見ていたアイドルがデビュー決定。今思えば喜ぶ余裕すら全くなかった。上司から「馬力がない」と言われたのも、確かこの頃か。1回目のワクチン接種。

8月。お盆は実家でごろごろ&2回目のワクチン接種。引き続き男の子と遊ぶ。withで知り合った人に好かれて、付き合った(すぐ別れた笑)。仕事はわりと淡々としつつ、達成感も。うちで親友とリモート勤務したりしてた。あんま覚えてねぇな。

9月。いい感じに仕事頑張る。合間を縫うように、引き続き男の子と遊ぶ(バカだなー😂)。ジタバタしつつ、「なんかもう大丈夫だ、落ち着いて生きていこう」と仕事続ける覚悟決める。雨が降った肌寒い日に、誰にも見えない秘密の場所にこっそりタトゥー入れた。中旬、元彼再登板。ADHDのテスト受ける。

10月。仕事再びヒートアップ(これが12月まで続くんだ…でも何が辛かったのかよく覚えてないや)。ADHDの薬飲み始める。ひたすら「空気階段の踊り場」のアーカイブを聴きあさる。

11月。引き続き、踊り場漬けの生活。仕事の記憶一切なし。ブラックフライデーに、20本ポリッシュ購入。元気出てきた感じがしてきたのもこの頃。好きな男の子のマネして金髪に。

12月。別れあり。そして記憶なし!! でもなんかやっぱり不思議と辛かった。今年忙しすぎて埋まったことにすら気づかなかった右耳のホールを思い、ピアス開けなおす。

そのほか私を助けてくれたことたち

●Aちゃんとのライン・会合

●Kちゃんとの爆笑

●とにかくよく飲み喋った、うちのダイニングテーブルの記憶

●近所の飲み屋にめちゃ行ったこと

●マカロニえんぴつ「ハッピーエンドへの期待は」

●「関ジャニ∞でよかった」

●コロナ前の関西ジャニーズJr.京セラコンサートDVD

●元彼のサヨナラホームラン

●宇宙のドラマ(笑)

●最後の焼肉

●嵐の映画

●実家およびいとこ一家

などなど。なんかいろいろあったはずなのに、下半期全然記憶なかった。