fuyunohinotegakariの日記

写真をあげたり日記を書いたりしますが、ほとんど泣き言格納庫です。

空気階段がある生活

 今年の夏、空前の峯田ブームを迎えた私は、「空気階段のもぐら、銀杏ファンだよね」と声をかけられることが増えた。前にここでも書いたけど、峯田が登場した空気階段のラジオの過去回を聴いたのをきっかけに、二人に興味が湧いて、ラジオを聴いたり、ネタを見るようになって、そんな夏の終わりにキングオブコントで彼らが優勝したのを、テレビでリアルタイムで見ていた。とても素晴らしい時間だった。特に、2本目が好きだった。私はお笑いは全然明るくないので、こんなファンシーで馬鹿馬鹿しくてちょっと悲しくて、でもなんか温かみがあって笑えるコントってあるんだ! と驚き、その芸が高く評価されて優勝した、という事実に感激した。

 それで、腰を据えてラジオを一から聴き始めた。彼らの素晴らしさについてはもう、数々の人たちが書いているので特にここで書くこともないんだけど、とにかくいまの私の生活の中心はラジオクラウドの赤い画面を開いて、何秒かの広告が流れるのを待って消して、二人の会話を聞くことで成り立っている。

 自分の私生活の重要なところを曝け出していくスタイルは、時に人を傷つける(例えば、かたまりが公開プロポーズ後にバラを13本もって彼女の家に行ったときのことを話しているとき、「やっと私の話をラジオでしてくれたね」と言われた、と言っていたが、大切にしているから話さない、ということと、なぜ私の話をしてくれないの、が両立するから難しくて、SNSに恋人を載せる載せない問題とかにも発展するが、一旦それは置いておいて)。

 だけど、二人がすごいのは、そういうこころの一番やらかい場所を、結果として芸として舞台上での見せ物に昇華しているところにあると思う。二人がお笑い芸人として生きる一方で、恋をしたり、愛を知ったりする過程をラジオで伝えながら、そこで感じたことや思いなどのエッセンスを、コントに生かしているところが、立体的で、有機的で、素敵だし、エンターテイメントだなと思う。

 特に今年、私は自分のぐちゃぐちゃな私生活を友人・知人に話して聞いてもらって、相談相手をリスナー扱いしていたので(みんな、本当にありがとう)、なんとなく考えることも多くて(聞いてもらいたい部分はどこか、それを伝えるにはどこまで個人的で私的なことを話したらよいのか、そして聞いてもらっているからには楽しんでほしいのでどこまでエンタメ化して話すか、など)、私がつまらない人間にならないことが、この話を聞いてもらったリスナーへの最大のお礼だなと思う。

 昨日実家に帰っていて、その日にラジオで聞いたもぐらのお腹が柔らかい話(地味に笑えるやつ)をママにしたら「今朝のラジオの伊集院光より面白かった」と高評価を受け、調子に乗って「落語始めようかな」と言ったら、ママと妹から「お姉ちゃんは途中で笑っちゃうからダメ」「でも”途中で笑っちゃう落語家”って新しいかもよ」「ファンがつくかもしれない」「今日はどこで笑っちゃうかなとか、今日は泣いてたとか」「意外といけるかも」と言われて、また笑い過ぎて泣いた。