Sexy Zoneの「Dream」という歌が好きだ。今をときめくiriが提供した楽曲で、去年のコンサートツアーでもラストに歌われていた。アルバムを買っていなかったので(すまん)、「Dream」収録のAL「ザ・ハイライト」の曲は初めて横浜アリーナで聞いたが、中でもこの曲は頭ひとつ抜けていた。別れを思わせる切ないラブソングなのであるが、今日ブルーレイをみて(これは買った)改めて良いなぁと思ったので、具体的にどう良いか書いてみたい。
歌い出しから
揺さぶる夜の中で二人はどこへいく/にじむのは僕にだけ/見えている世界だっけ?
とこちらに問いかけてくる。まだ状況が見えないが、この時点でなんとなく悲しげである。
Bメロが続く。
放り出された恋の行方は静かで/君が笑うたびはじけ舞い上がる Everyday/きらめいた景色だけが/微笑み続けるだなんて…
ここで、この歌の主人公は
- 大好きな人と突然のように別れ(=放り出された恋の行方)、
- 次の恋を始めるでもなく過ごしていて(=静か)、
- そのはずなのに(=だなんて)、
- 一緒にいたときの素敵な思い出(=きらめいた景色)が
- 色褪せず頭の中にこびりついている(=だけが微笑み続ける)、
以上、5つの情報を教えてくれている。相手の人が笑うだけではじけて舞い上がるようなエブリデイだったのだから、いかに二人の間に素晴らしい時間が流れていたかは想像にかたくない。
そして何度か繰り返されるサビのフレーズ、
数えきれない合言葉も/君と僕にしかないこの野暮なやりとりも/夢みたいに綺麗に消えてOk?
これを聞くと、高校の古典や大学の授業で耳にタコができるほど聞いた「わざわざ問いかけるということは、つまりそれは疑問ではなく反語なのだ」という読み方がよぎる。
そのセオリーに則って考えると、この歌詞の主人公は「君と僕の関係性やその中にあったいろんな出来事が、跡形もなく消えてしまっていいわけがない」もしくは「この関係が終わったからといって、何もなかったとは思いたくはない」というような思いを抱いているのかしらね…と、聞き手である私、つまりしがないアラサーのOLの胸がぎゅっと締め付けられて仕方ないのである。
2番も色々言いたいことはあるが長くなるので端折って、Dメロでケンティが切なく歌い上げる次のフレーズ。
繋いだままでいれたらいいね/何度離れ離れになっても/慣れない世界で君を見つけて/それだけで何もいらないでしょう
「いれたらいいね」ということは、「繋いだままではいられない」ということがこの主人公にはわかっている。そしてその現状が耐え難いから、繋いでいられたらいいなぁと、歌うほど願っていると考えることができる。”何を”繋いだままでいられたらいいのかは、書いていないのでわからないが、「何度離れ離れになっても」と続く。このフレーズが、まるでこの別れが、「君と僕」にとって初めての出来事ではないんじゃないか? と匂わせる。
そこに畳み掛ける「慣れない世界で君を見つけて」。慣れない世界、とあえて歌うということは、慣れた世界が、どこかに(もしくは過去や未来に)存在している、と読むことができる。(単純に、慣れない新生活で、とか慣れない環境で、とかそういう素直な読み方ももちろんできるけど、ここはあえて。)
「何度離れ離れになっても」に続く、この「慣れない世界」というフレーズには、とてつもない余白を感じる。かつて、自分が慣れた世界でも君と出会えていた、そしてその世界でも別れを経験した二人なのだろうか、と私の目の前には、時空を超えた広がりが、頭の中に生まれる。想像力と感受性が豊かなので。
(「何度離れ離れになるとしても、繋いだままでいられたらいいのにね」という強調と読むこともできるが、まぁここはあえて。)
つまり、かつていた世界とはお互い姿形を変えたいま、この世界でも君を見つけることができた。たとえ何度離れ離れになるとしても、こんな慣れない世界に生きてすら君を見つけられたという奇跡とも言えるような事実を思えば、今以上に何か期待する必要はなく、十分だ、と読むことができる。
そしてサビのメロディを繰り返す。
それじゃさよなら/僕らのたわいない日々よ/たとえどこかで会えたとしても/そっと目を逸らして/また歩き続けるでしょう/夢みたいに綺麗に消えて…
1番と2番のサビで「消えてOk?」と(どこか2ちゃんねらーのような言い方だが)問いかけてきたこの主人公は「たとえまたどこかで会えたとしても、目を逸らすだろう」と落ちサビでいう。
なぜなら、君と僕の間にあったたわいない日々やありふれた出来事は、とてつもなく強固なものであり、消滅しないと確信しているから。
と、思えてくるのである。
これはとても素敵なことだ。
大人になればなるほど「ずっと続くものはない」ということを日々感じるわけだが、続かなかったと言っても、その素敵に過ごした時間や、ささやかではあるが愛しかった出来事が、すべてなかったことになるわけではないと私は思う。
私はこの曲を聴いて、この世界でセクシーゾーンを好きになれてよかったと思った。私と彼らの間にはなんの直接的な関係もないが、わざわざコンサートに足を運んで歌を聞いて感動して涙を流すほど好きなのだから、きっと別の世界線でも何かの形で好きでいたかもしれないな、と思った。この世界ではアイドルだったから見つけやすかった、アイドルになってくれてありがとう…と感謝した。
この「Dream」に感じる、この世界では君を見かけただけでも十分だ、だっていつかどこかで(この世界ではないところかもしれないけど)、また会えるかもしれないのだから。君を好きになれたということが、それだけでいいんだ、だって何も無かったことにはならないんだから。という思想は、何かを狂うほど好きになったことがある人にとって、切なく思い出される記憶や感情があるのではないかと思う(だって健常な人間は、狂い続ける=ずっと恋心を持続させることなんかできないからね!)。
これもまた私が大好きな銀杏BOYZの「夢で逢えたら」で歌われる、
君に彼氏がいたら悲しいけど/「君が好き」だという/それだけで僕は嬉しいのさ
に通ずるところがある。
私が単に、そういうのが好きなだけなのかもしんないが。
そういうの繋がりでいうと、この春読み直した漫画「ハチミツとクローバー」の最終話で主人公の竹本くんがモノローグで、こんなことを、(涙をこぼしながら、歯を食いしばって)いう。
(ーーオレは ずっと 考えてたんだ/うまく行かなかった恋に 意味は あるのかって/消えて行って しまう もの は 無かった もの と 同じなのかって…/今ならわかる/意味はある/あったんだよ ここに)「はぐちゃんーーオレは 君を好きに なってよかった…」
だから、恐れずにいっぱい恋しようや。別に人でもアイドルでも、モノでもなんでもいいんだからね…。