fuyunohinotegakariの日記

写真をあげたり日記を書いたりしますが、ほとんど泣き言格納庫です。

・「ブロッコリーの茹で汁を捨てるな、スープにしろ」という旨のツイートを見かけて、興味本位でブロッコリーを茹で、その汁で野菜のスープを作った。冷蔵庫の中身一掃スープのはずが、私料理うまいかもと錯覚した! けどすごい量なので、どうしたらいいのか。タッパーにわけたとしても、冷蔵庫パンパンになってしまう。今週はこれで生きられる。

・日曜の雨に桜は耐えたようす。遠い方の駅で降りて、花見コースを歩いて帰ってきた。人々は、道端で座ったり寄っかかったりしながら、酒などを飲んでいた。カップルが橋の上でもちゃついていて、女の子が「うち、人呼ぶような家じゃないし…」と嬉しそうに言っていたのが聞こえた。川に覆いかかるほどの桜はちょうど満開で、もこもこだなと思った。

・仕事が綱渡り。いっこでもボタン掛け違えたら詰むぜ、の日々をもう長いことやっているが、当たり前につらい。もう少し余裕ができたらいいんだが、仕事を振られると嬉しくて頑張ってしまう。ついにビッグボスから「メンタルと体力と相談して」と言われて、すべてお見通しだなと反省した。

・好きなアイドルの男の子が、着なくなった服を捨てることを「オーディション」と言っていていいなと思う。私もゴールデンウィークまでにオーディションしたい。なんか断捨離よりかわいい。

台所の流しに立って、まな板もお皿も出さずに、果物を左手に持って、右手に包丁を持って、剥いた端から食らいつくやつやると、すっごいおいしくて、これもう人と住めないかもな…と少し思う。あと帰ってきて即、換気扇の下でタバコ吸ってるときも。それと、お風呂の湯船でアイス食べてるとき。

夜中に突然ブログが書きたくなってパソコンひらくときもそうだし、ベッドの中で小さく音楽かけてるときとかも。

恋と圧

仕事していて同僚に「◯◯さんは、部長がテンション上がる案件ばっかり任せられていいよね」と言われたことがある。(ん?)と思ったが、その場ではダイレクトな悪意を感じなかったので、言葉通り受け取ったけど、数分遅れて驚きと嫌な気分が沸いてきた。…と、そんなことがあったんですよ〜と先輩に話したら「圧かけられたか!」と言われて、わたしは「圧」という概念を入手した。これがすごい便利で、今まであったいろんなことを振り返りながら、圧について考えている。

人付き合い。相手に何かしら狙いや期待感があると、それは圧となって相手にしっかり届く。圧は、いい圧の時もあるし悪い圧のときもある。と書いてみたけど「いい圧」の具体例があんまり浮かばない。だから「これ、圧!」ってなった瞬間に、もう悪い圧なのかも。

何年か前、飲み屋で知り合った歳の離れた男性からLINEで告白された。私にとっては、おもしろいけどまあまあウザいただのおじさんだったし(ごめん!)、そのおじさんはわたしの他にも若いお客さんのことが好きっぽい感じだったのを知っていたので(ごめん!笑)、気をもたせぬようキッパリとお断りした。すると「しばらくお店にはいかないようにします」「ごめんなさい」「恋愛感情は捨てたので友人としてこれまで通り仲良くしてください」的なめんどうなLINEがきたりして、返事をすると厄介なので無視をしたり、その後、店で居合わせて仲直りしたような気もするけど、2ヶ月後に病気で亡くなった。最後に無視したLINEには、私を困らせる発言に対する言い訳のような言葉が連なっていて、わたしは「大人になってくださいよ…」と入力して、送信ボタンを押さずにそのまま放置していた(LINEは入力欄に打ち込んだ文字が消えずにずっと残るため今もそのまま)。

今よりも少し若かったわたしは、そのおじさんの強い強い圧を跳ね返そうとして、しかし無理だと判断し、圧が及ばないように撤退したりして、なんとか逃げたつもりだった。けど、死んじゃったので、結果としてその圧がうっすら今も残ってる感じがしなくもない。これが圧。

不遜なことをいうと、わたしは大学生になってからモテるようになったので、十代のうちに恋の圧を受けた経験がそんなになかった。私のことを好きになってくれた男の子はいたけど、直接告白されたことはほとんどなかったから、なんかじんわりとした好意を感じつつ、それを圧とは認識していなかった(みんな元気かしらー)。だから、上記のおじさん告白事件という結構衝撃的な出来事をもって、はじめてはっきりと理解したわけだけど、今思えば、わからなかったのをいいことに、自分はすごいすごい圧をかけまくってたと思う。小学校のとき好きだった男の子にも、生まれてはじめて付き合った人にも。

わたしは人を好きになると好意がすごく重い。圧という言葉は入手していなかったにしろ、恋をした相手にじっとりと、ずっしりと、何かのしかけてる自覚はあり、すごく気をつけないと、喧嘩になったり相手を困らせたりしてしまうなとは常々思っていた。そこで去年「ステージに立つ人にしか恋をしない」と決めた。ステージに立つひと、すなわち時のスターは、プロの恋され人間なので、安心して恋ができる。わたしの念に近い恋心を委ねても迷惑にならない。お金を払ってチケットを買い、息を止めてステージを見つめる。それですごく気持ちよくなれて、生きててよかった! と思えるので、多分わたしはそれでいいんだと思う。恋はそこに委ねたい。

恋心はうまいことコントロールしないと圧になってしまうので、できるだけ仲良くなりたい人には抱かないように、秘めておこう、というのが最近までのわたしだった。恋の圧はできるだけ受けたくないし(好きでもない相手の期待に応えるのが嫌だ&好きな相手であっても期待に応えてばかりいると嫌嫌になる)、わたしの恋の圧は多分すごいので、相手に発生させないように…と思いすぎて、恋をせずに彼氏ができたけど、なんかたぶんこれも違うっぽかった。だから、恋心は恋心として心の中にあって、それを圧として出力させず、仲良くなる、というのがいいと思うんだけど、それのなんと難しいことか!!!どうにかなりそう。

というわけで恋シリーズつづきます。次回は「恋と感性」でいきます。