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イカサマな新素材

写真をあげたり日記を書いたりします

最後はやっぱり君/但し書き

日記

「この人しかありえない」というのはまやかしだ、そんなことありえない。と、一緒に飲んでた男の人に言われて、まー確かにそうだよな。それはありえないかもな。と思った。

それがずっと頭に残ってた。

でも、いろいろ過ごしたり考えたりするなかで、「最後はやっぱりこの人」はあるんじゃないのかなあ、と思った。それで、そんな歌あったなあとキスマイの「最後もやっぱり君」という歌をきいて、そうそうこれこれだ思ってたのは、と思った。

http://www.kasi-time.com/item-77677.html

よく泣いたよく笑ったけんかもする

口もきかず変な空気の日も「あるだろう」

旅もした愛し合った語り合いもした

そして信じると決めた

未来の事はどんな誰も

絶対なんて有り得ない

だからこそ努力をしてるんだ

1秒でわかるような時もあるし

きっと死ぬまでわかり合えぬ事も「あるだろう」

時を経て認め合って支えあいながら

生まれた意義感じる

そうだよこれだよ誰だよこんな歌書くの天才かよ、と思ったらつんく大先生だったのでひれ伏しました。天才でした。

ほぼ共感するんだけど、今の自分の気持ちとして、「だからこそ努力をしてるんだ」と言えないのがまだ思い切れないところではある。ただ、未来のことはわからないから、だからこそあなたといたいという気持ちは同じだ。

1秒でわかることもあるし、一生わかんないこともあるだろうし、それでも一緒にいてお互いを認め合えることが、生まれた意義だと感じられる。

そんな気持ちを知ってしまった以上、いろんなうまくいかないことはあっても、最後はやっぱり君なのかな、なんか悔しいなあ、という気持ちでいる。

 

 

高校生のときいろいろあった実体験から、「ネットには、子供に見られてもいいことしか書いちゃダメだ」と強く主張し、自分もそのようにしていたつもりだった。その気持ちは今も変わらないし、できるだけ気を付けてる。

でも、このブログはどうかな、と思いながら書いてる。

それは、どうしても誰かにきいてほしい、どうしてもどこかの誰かに私の気持ちを知っててほしい、というワガママな気持ちによるものだからだ。

その思いからか、できるだけ、インターネットにぽつんと人がいて何か書き残している、という感じでいたいな、とは思っている。

友達には、読まれたら恥ずかしいけど、恥ずかしいくらいでまあ済むかな、という感じ。

 

この記事も、友達には読まれていいけど、子どもとか、いつか結婚する誰かに読まれたら傷つけちゃうのかなあ、と思って書いてる。

でも、誰かを傷つけるからと口をつぐんで自主規制を重ねて生きていると、本当に言うべきことと、そうでないことの区別がマジでわからなくなってしまう。たぶん私はなってしまった。

そのリハビリの一環として、このブログは存在しています。という但し書きをしてしまいました。