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イカサマな新素材

写真をあげたり日記を書いたりします

高校生の頃に書いた文章

長文

「あなたとわたしで一緒に『関係』をつくる」

あなたが「男女の友情は成立しない」という言葉を初めて耳にしたのはいつのことだったでしょうか。わたしは小学校中学年のころでした。初めてそれを聞いたとき、「なんで?」と不思議に思ったのを、今でもはっきりと覚えています。女の子は怪獣とかカマキリとかを好きじゃないからだろうかとか、男の子はリカちゃん人形で遊んだりしないからだろうかとか、もっともっと色々な事を考えたけど、いまいちよく意味がわからないままでした。そりゃあ、毎朝のように男子も女子も関係なくごちゃまぜでサッカーやドッヂボールをして遊んでいたあの頃では、いくら考えてもわからなかったことでしょう。実感を伴わない事を理解するというのは、いくつになってもなかなか難しいものです。

 わたしには、幼稚園の時から家族ぐるみで仲良くしている友人がいます。最近はなかなか会わなくなったけど、集まるときは大体五人くらいで、よくお泊りしたり虫をとったりして、ふざけ合って遊んでいたのが本当に楽しかったのでした。その中で、女の子はわたしだけです。でも、ちいさいときから、彼らはわたしをちゃんと女扱いしながらも特別扱いはせずにいてくれたから、色々やりやすくてとても居心地が良かったように思います。テレビゲームをするときも、どんなにわたしが弱くたってちゃんとコントローラーをまわしてくれたし、キャンプでもなんでも、女だからといって置いてきぼりにされたことなんて一回もありませんでした。こういう風に感じていたということは、それなりには男女の違いというものを当時から考えていたのだと思います。その上で疑問に思っていた事は、もし本当に男女の友情が成立しないんだったら、今わたしたちの間にあるものは一体何なのだろう、ということでした。

そんなわたしに、「男女の友情は成立しない」という実感の決定打となる出来事が訪れます。五年生になったある日、わたしと妹だけでその友人の中のひとりの家に泊まりに行くことがありました。妹は、その友人の妹の部屋に布団を敷いて、いつも通り妹同士で寝ました。一方のわたしは、なんと、彼のお父さんに客間へ通されて、ひとりで寝かされたのでした。当然いつものように友人の部屋で寝るのだとばかり思って来たのに、こんなことは初めてで、つまらないしさみしいし、どうしてひとりで寝なきゃいけないのかと夜通し考えました。その時に思い出したのが「男女の友情は成立しない」という言葉でした。今なら、なぜ寝る部屋を分けられたのかわかりますが、小五ってのはまだちょっと早いんじゃ、と思います。

そういう事があって、わたしはその日、年頃になると男女が同じ部屋で寝ることは許されないんだということを、身をもって実感しました。

要するに「男女の友情は成立しない」とは、性や恋愛を前提とした言葉であって、思春期を迎えた後のくたびれた人が言うことなのです。そして、そのような言葉が世の中に浸透していて、子供たちもが口にするような世界では、恋愛(あるいは性)というものが太りすぎてしまっているような気がします。

そういう世界にいるので、人々は「かっこいい」と「恋愛対象としての好き」を、決して一緒にはできないはずのものなのにすぐ同じものだと思いたがります。例えば私が「一郎くんってかっこいいよね!」なんて言ってしまった日には、それを聞いていた人に「へー、山田さんって一郎くんのことが好きなんだー」と思われてしまいます。さらに極端な話、「好き」と「付き合う」も同じものだとされているので、「山田さん、一郎くんと付き合うのかな?さっさと告白すればいいのに」とかにまで繋がってしまっても、何らおかしくないのです。誰もこのような矛盾には突っ込みませんし、気にもとめません。

好きとかかっこいいなんていうものはきっとただのきっかけであって、恋愛においてはそんなに重要なものではないのだと、わたしは思います。それに、恋愛というものはもっと複雑な思いや気持ち、その場その場の状況によって、瞬間ごとに変化しながら「関係」の中に成り立ってゆくものだと思うのです。「普通、彼氏はご飯をおごってくれるものだ」とか「わがままを聞いてくれるのがいい彼氏だ」とか「車を持ってない彼氏なんて恥ずかしい」とか言って、相手を「彼氏」という一般的な枠に括り、関係を「付き合っている」という言葉に当てはめるのは少し乱暴です。そういう風に関係を作っていくと、自分と相手の間にちょっとした融通すらきかなくなってくるので、とても壊れやすいものとなるでしょう。これは恋愛に限りません。友達との関係、家族との関係。学校の先生も同じです。

大事なのは相手や関係を当てはめる言葉ではなく、相手との関係をどう保ち続けるかです。男か女か、文系か理系か、金持ちか貧乏か、カッコイイかブサイクか、背が高いか太っているかなどのいわゆるステータスと言われるものは「関係」を作るときはちょっと端っこに置いておくべきなのです。そうしないと言葉に惑わされてしまって、一番大事な「自分と相手の間にあるもの」が見えなくなってしまうから。考えるべきは「あなたとわたしが仲良くするにはどうすればいいか」であり、それを考えるために必要なものは「自分と相手の間にあるもの」が何であるかを明確にすることだと思うのです。

なので「男女の友情は成立しない」という言葉を今もう一度考えると、「男女の友情」という関係を作ろうとするから上手くいかなくなるのであって、AちゃんとBくんが、AちゃんとBくんによる、AちゃんとBくんだけの関係を築こうとすれば、恐らくその関係は男女であっても成立するのです、ということを思います。そして、もちろんこれは「友情」だけに当てはまるのではなく、すべての関係がそうであればいいと、そうであるはずだと、思うのです。

 

(後半、今読むと「当時ホントにがんばってたんだなー」という印象。よくがんばった。若き私はえらかった。そして、がんばりすぎてた。びっくりするほどいい子だなと思う。今はもう、ここまで思い詰めてないな~。なんかいじらしい気持ちになったので、載せました。)