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イカサマな新素材

写真をあげたり日記を書いたりします

続・報われる理由

やはりどう考えても、人が報われるのは「自分の優しさ」のおかげじゃない。自分の周りの誰かが優しさを手抜きしなかったから、それを自分に捧げてくれたから報われるんだ。

確かに、誰かの優しさを捧げてもらうに至ったあなたは、優しさを手抜きしなかったかもしれない。でも、それは報われなかった人だってきっと一緒だ。優しさを捨てずに、手抜きせずに頑張ってる。でも、いくら頑張っていても、死にそうな人は何もかももうわからなくなっているものなのだ。頑張ってるから、もう頑張れなくなって、「自分の努力は生きるに値しない」と絶望して死ぬんだ。

私は、出来るなら、死にそうな人の味方でいたい。いじめられてる人がいたら、救ってあげることはできなくても、最後まで敵にだけはならないでいたい。殺人に加担したくない。
だって知ってる人が自殺したら絶対後悔するから。嫌だもん。自分の友達が死んだら悲しいし、「あのときせめて味方でいれば」って思う。私は、毎晩のように、今にも自殺しそうだけど、この人は味方でいてくれることを表明してくれてたなあ、といろんな人の顔が思い浮かぶ。その人たちのために死ぬことができない。

救うことは大変でも、味方でいることは難しくない。自分がしっかり立場を決めていれば。守りたい信念や軸があれば、結果的に誰かの味方としていることになる。

そうやって考えると、私の弱いところは、「この人いっぱい味方がいるなあ」と思ったら、けっこうそっと離れることができちゃうところかなと思う。