読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

イカサマな新素材

写真をあげたり日記を書いたりします

サブカル女の宿命(エヴァと園子温)

最近一番ホッとした瞬間は、『逢澤りく』を読んでいて「関西の学校の先生が主人公の涙をウソ泣きと言った」瞬間です。


さて私は20年前に生まれていたらおそらく『オリーブ』を熱心に愛読していたであろう感じの女なのですが、「オリーブ少女」みたいなカテゴリーは2010年代には存在せず、そのためかなり抽象度の上がった呼称「サブカル女」「サブカル系」といったかたちでまとめられることが多々あります。

「サブカル女子」と言われるときのあのなんとも言えない緊張感をみなさまはご存知でしょうか?

確かに私は「サブカル系」と言われるような音楽とか、漫画も好きです。が、どうなんでしょうね。確かに「サブカル系」だけどさあ…と思うけど、どこか腑に落ちない部分があるのです。

それは、どういうことなのかというと、率直に言うと「あっ、こいつサブカル女だな?」と見込んだ男は大体ですね、「エヴァンゲリオン」か「園子温」の名を出すんですよね。

園子温、見るといいよ」、「エヴァ、きっと好きだよ」。こういった言葉、高校生の頃からめちゃくちゃ言われましたね。

さて、なんとなく、この感じ、おわかりですか?

エバ(敢えてエバと書こう)は、たぶん見たら結構面白がるんじゃないかと思います。園子温もそうだと思う。なんとなく、面白いんだろうなということは分かる。でも進んで見ようとはなぜか思えない。

それは、たぶん、誤解を恐れずに言うと、「ダサい」から。このダサさ。

私は「ダサい」もの、きらいじゃないんです。ジャニーズとかめちゃくちゃ好きだし。でも、ダサいもの好きな人こそわかる感覚だと思うんですが、大好きな「ダサい」ものって、胸にそっと抱きしめて眠る年季の入ったぬいぐるみのようなものじゃありませんか?

大好きだし、このぬいぐるみを好きでいることに恥ずかしさももう感じないくらいずっと誇りを持って愛し続けている、みたいなレベルでないと、「ダサい」ものを好きでいるのってけっこう覚悟がいると思うんですよ。だってダサいものを好きになっちゃうのってダサいから。

だから、他人がエバが好きでも園子温が好きでも別にそこはどうでもいいんですけど、声高にそれらの作品を好きだと主張したり、「えっサブカル好きなの?エバもきっとすきだよ!」と見込んできたり、開口一番に「園子温見てよ!」というようなダサさにエンカウントすると、ああ、このひとはダサいものをダサいと思えないんだ…と思うことを止められない。エバや園子温を面白いと思ったり、好きでいること自体は全く否定しないし、このふたつを好きな人とは結構話も合うんだけど、「まあ、見るけどね」「うん、好きだよ」くらいの温度の人に出会うと非常に好感を持ちます。

 サブカル女であるということは、趣味の違うオタク男性からダサいものを押し付けられることがあるというだけの話でした。


関係ないかもだけど、

オタクというのは恥ずかしい生き物だ、という前提がまずあります。ほっとくと延々語り続けますからね。それで、しゃべりすぎて余計なことを言ったりするのがダサいんだと思う。(「しゃべりすぎる」ということについてはフリッパーズ・ギターが。)

体育会系の人が重宝されるのは、自分の役割を自覚してその通りに行動するための訓練を積めていることが多いからだと思う。