イカサマな新素材

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みんなおぼしめし

 金曜日、舞台をみてきた。伊野尾慧くんの『カラフト伯父さん』。思い切って行ってほんとうによかったと思っている。自分はこういうことの嗅覚は鋭い方だと思う。今読むべき、これを見に行くべき、みたいな、、、

(舞台の内容についても書くので、もしまだこれからのひとの目にふれてしまったら申し訳ないと一応前置きしておきます。)

 

 中途半端な前情報から、突飛なストーリーだったらどうしようと思っていたけど、普遍的な人間関係の物語だった。震災のことはそれとして大きなストーリーでありながら、主人公の徹の個人的な話としてしっかり落とし込まれていたので、非常に見やすかった。

 

「親のことがどうしても許せない。」「子どもがどうしてそんなに自分のことを憎んでいるのかわからない。」

 こういう不幸は本当に、どこにでもある。

 舞台上で起こっていることがあまりに辛いので、この地獄はいつになったら終わるんだろう、どんなふうに締めるんだろう、と祈るように徹を見つめていた。

 親が離婚して、あたらしい恋人のような何者かが登場する、そしてその二人はけんかばっかしている、という状況が、個人的にとてつもなくリアルで、うっかり「これは私の話でもあるんだ」と思ってしまった。二人の言い合いを見ている徹の表情に釘付けになった。「ああ、こういう感情はやっぱり有りえたんだ」と、救われるような思いすらした。

 中盤で、徹が「あのときなんで来てくれなかったのか」とカラフト伯父さんに問いかける。カラフト伯父さんは、事情があったのだと伝えてから、「なぜそんなに憎まれているかわからない、私が何をしたのだ、教えてくれ」と嘆く。徹の反語的な問いかけがその全てだったのに、カラフト伯父さんは拾ってあげなかった。こんなすれ違いはきっと世の中に腐るほどあるだろう。どうしてその溝が埋められないんだろう。

 僕たちは、なんだか全て忘れてしまう。絶対に忘れちゃいけないことを、いとも簡単に忘れる。いや、忘れていなかったとしても、なかったことに出来てしまうのが私たちの持つずるさだ。そうしてこの世からいびつに消してしまった数々の約束を考えると死にたくなる。また、誰かに消されてしまった約束を思い出すと、今でもからだのどこかが熱くなったり冷たくなったりするものだ。

 そういうことを、ひどく激情的に、わたしたちにまざまざと見せつけたおぞましい徹の絶叫。今でも耳に残る。孤独という言葉では言い表すことのできないような、彼の人生を脅かしてきた大いなる絶望を想像して、目の前が真っ暗になった心地がした。

 彼に降りかかった様々な悲しみが、この演劇上のみでなく至るところに実在するものなんだと気付くのに、そう時間はかからなかった。そういった、苦しいほどのリアリティがこの作品を支えている。みんなの大切なものを、いとも簡単に奪う何かが、悲しいことに世の中には溢れるほど存在するのだ。そんなこともすっかり忘れてしまう。辛いことから目を背ける。

 なんども徹が小さな男の子に見えた。伊野尾くんが元来持つ、尊いほどの美しさと、あどけない表情、頼りない体格が、その儚さを強調していた。伊野尾くんじゃなかったら、辛すぎて見てらんないと思った。だって、絶叫する彼の姿がどうしても魅力的だった。そんな自分にがっかりもした。

 

銀河鉄道の夜』にある一節を思う。

 「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」

  青年が祈るようにそう答えました。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 わたしはもうどのファンクラブにも入っていないし、雑誌を買ったりもしていないし、コンサートも滅多に行かない。いわゆる茶の間ファンだ。それでもたまにはこうやって、気になる催し物に足を運び、いろんなことを考える。何かがちょっとよくなる感じがして、生活のよろこびにつながる。こうしたことがどんなに幸せなんだろうと思った。

 こころのよりどころ。ある意味、神様と言ってもいいかもしれない。無条件に自分の熱量のゆきどころをつくってくれる存在。空虚にぽつんと取り残されたような場所。アイドルは私にとってそういうものなんだと思った。

 思い出した時だけ、欲しい時だけ。目の前にいない彼らがわたしの勝手な欲望を満たしてくれる。ひとりよがりな思いを受け入れてくれるような気持ちになれる。ベッドの中で誰にも知られず抱きしめるぬいぐるみのような存在だ。

 そういうことに感謝を表明する方法の一つとして、チケットやCD、DVDなど、彼らにできるだけ届くようなお金の使い方がある。それは、タレントとファンを繋ぐゆるやかで止まらないルールなのだ。

 これからも、思い立ったときにわたしはいろんなアイドルの現場に足を運ぶだろう。そのたびにちょっと何かがよくなって、生活を少しだけでもゆたかに出来るように、輝く彼らに申し訳なくならないように、正々堂々と生きていけるように、日常へ帰るんだと思う。

 

 そんな感じのことを、この週末は考えてました。