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イカサマな新素材

写真をあげたり日記を書いたりします

ローグワンみた

映画

母の「うとうとしちゃったけど最後がよかった!」という、よく聞く感想を確認して、DVDでいっかーと思っていたんだけど、おととい友人と飲んでたら「ローグワンみた?」「ローグワンの話してぇ」「このあとどうする?ローグワンみてもいいし」と、そこまで言うなら見たいわと思いそのまま映画館。

面白かった!

EP1〜7しか見てないニワカSWファンなんですが、ローグワンがいちばん面白かったかもしれん。スターウォーズみて泣いたのはアナキンがお母さんと別れたシーン以来だ。4回くらい泣いた。

 

なんとなく、ライトセーバージェダイがブォンブォン、みたいなのがない感じがポケ戦を彷彿とさせた、ポケ戦はあれでおしまいだから本当にやるせないけど、ローグワンは奮闘した人たちの思いや熱がそのままEP4に繋がってて救われた。

ジンの物語として捉えたら確かに「スピンオフ」かもしれないけど、出来事的にはEP3.9じゃん…と思った。もったいない……

前半つまんなかったという人も多いみたいだけど自分は最初っから最後まで面白かった。こうしてジンの人生が拾われることは、「ローグワン」のメンバーひとりひとりの人生も同時に尊重されるということだと思う。とてもよかった。

以下思ったことを適当にまとめる

・下っ端の戦いが細かく描かれてて、今までの「で、どうして勝てたの?!」感がなかった、興奮した

・上層部のクソさもちゃんと描かれてたことで、スターウォーズが戦争物語であることを思い出させてくれた、かっこいいだけじゃない、たくさん人が死ぬ悲しくて虚しい話でもあるのだと

・なおかつ、ただの悲しいだけの戦争映画じゃなくて、ちゃんと「新たなる希望」に繋がってた

・「デススターの急所弱すぎ」問題が解決、まさか壊されることを前提とした急所とは思ってなかった!ど〜〜りで都合いいわけだ

パイロットのボーディーの、言葉で状況説明しつつ指令を下すのに慣れてない(でも頭いいのは確実である)感じがよく伝わる演技、いいなー!と思ってたんだけど、役者さんがラッパーだと知って妙に納得した。演技として、喋り方のペースや間の取り方が完璧だった

・あと、キャシアンが高い所から落ちて「またか!人が死ぬときはそうなんだよ!あー!!!」と思っていたら、まさか足場があって生きていた。7をみて以来、ハンソロは落ちたと見せかけてまだ生きていると信じてやまないのであるが、足場はなかったので本当に死んでしまったのかもしれない

 

そういえば、映画を見る前、友人と飲んでるときに彼が「パワポはなかったんだけどさ…」と言い、こいつはなんの話をしてるんだ?と思ったが

よく思い出したら、去年彼らと456を見たときに、場面転換の画面が切り替わる効果を指して「パワポw」と笑っていたのだった

確かにローグワンではパワポがなかった。

あらすじロールがなかったりするのと同じように、「これはスピンオフですよ」ということを強調するためだったのかな。7をみたとき、パワポ効果があるたびにククク、と笑ってしまったから、シリアスさのためならないほうがよかったと思える。どうでもいい話。

 

潔癖さ(少女的)

日記

幸田文の「雪もち」という短編が好き。

浮かれてる新妻が、少しだけ大きなことを諦めて、時間が経ってちょっと大人になる話。

付き合ってる人とか、夫の昔の恋人ってなんであんな心を乱すんでしょうね。

大体は、こっちに経験があまりないからっていうことが原因なきがする。

この世界の片隅に」も、そういうザワザワが人間関係の中に複雑に織り込まれてるよね。

本当にやるせないことってあるよなと思う。

私も本当に嫌だったな。彼氏の元カノの気配。今もやだけど、私にもいろいろあったから、今なら昔ほど潔癖じゃなく受け入れられると思う。

少女らしさというのは「潔癖」という言葉でほぼ表せるのではないかと卒論を書きながら、「櫻の園」を読んだりしながら、考えていた。

経験がないということはまっさらということで、まっさらなつもりたての雪に足跡をつけられるかどうかということと、この「潔癖」という言葉は近い。

一面の銀世界を生まれて初めて目にしたら、足を踏み入れるのをためらう気持ち。でも、それから何度も何度も雪が積もるのを見たら、さすがに「きれいだな」程度で、どんどん雪かきできちゃうし、雪の厄介さもわかってくるし。

少女らしさってそういうイメージだな。

経験のなさ。

変わりたい、変わりたくないのせめぎ合い。

雪の中を走り回りたい。でもこのまっさらな状態をとっておきたい。

今はそういう例えしかできないな。

 

最後はやっぱり君/但し書き

日記

「この人しかありえない」というのはまやかしだ、そんなことありえない。と、一緒に飲んでた男の人に言われて、まー確かにそうだよな。それはありえないかもな。と思った。

それがずっと頭に残ってた。

でも、いろいろ過ごしたり考えたりするなかで、「最後はやっぱりこの人」はあるんじゃないのかなあ、と思った。それで、そんな歌あったなあとキスマイの「最後もやっぱり君」という歌をきいて、そうそうこれこれだ思ってたのは、と思った。

http://www.kasi-time.com/item-77677.html

よく泣いたよく笑ったけんかもする

口もきかず変な空気の日も「あるだろう」

旅もした愛し合った語り合いもした

そして信じると決めた

未来の事はどんな誰も

絶対なんて有り得ない

だからこそ努力をしてるんだ

1秒でわかるような時もあるし

きっと死ぬまでわかり合えぬ事も「あるだろう」

時を経て認め合って支えあいながら

生まれた意義感じる

そうだよこれだよ誰だよこんな歌書くの天才かよ、と思ったらつんく大先生だったのでひれ伏しました。天才でした。

ほぼ共感するんだけど、今の自分の気持ちとして、「だからこそ努力をしてるんだ」と言えないのがまだ思い切れないところではある。ただ、未来のことはわからないから、だからこそあなたといたいという気持ちは同じだ。

1秒でわかることもあるし、一生わかんないこともあるだろうし、それでも一緒にいてお互いを認め合えることが、生まれた意義だと感じられる。

そんな気持ちを知ってしまった以上、いろんなうまくいかないことはあっても、最後はやっぱり君なのかな、なんか悔しいなあ、という気持ちでいる。

 

 

高校生のときいろいろあった実体験から、「ネットには、子供に見られてもいいことしか書いちゃダメだ」と強く主張し、自分もそのようにしていたつもりだった。その気持ちは今も変わらないし、できるだけ気を付けてる。

でも、このブログはどうかな、と思いながら書いてる。

それは、どうしても誰かにきいてほしい、どうしてもどこかの誰かに私の気持ちを知っててほしい、というワガママな気持ちによるものだからだ。

その思いからか、できるだけ、インターネットにぽつんと人がいて何か書き残している、という感じでいたいな、とは思っている。

友達には、読まれたら恥ずかしいけど、恥ずかしいくらいでまあ済むかな、という感じ。

 

この記事も、友達には読まれていいけど、子どもとか、いつか結婚する誰かに読まれたら傷つけちゃうのかなあ、と思って書いてる。

でも、誰かを傷つけるからと口をつぐんで自主規制を重ねて生きていると、本当に言うべきことと、そうでないことの区別がマジでわからなくなってしまう。たぶん私はなってしまった。

そのリハビリの一環として、このブログは存在しています。という但し書きをしてしまいました。