イカサマな新素材

写真をあげたり日記を書いたりします

サムシング

私たちは幸せになるべきだ。幸せを目指していくべきだ。ここでは便宜的に「幸せ」という言葉を使うが、「something」くらいに思って読んでもらえればよい。

自分が悲しむことをしてくる人といても幸せにはならない。それがわかっててもその人といちゃうのは、ほかにいい人がいないからだろうか。そんな単純なことだったらいいな。

最近は好きな子がいっぱいいて、いっぱい会える。その中でも一番会えない子と、仲良くなっている。好きな音楽教えてもらって聴いたりしてる。

正直私はまだ警戒していて、いつか悲しみで胸がいっぱいになるような日のことを頭の片隅に置いている。でも、それはひとまず今日明日ではないっぽいし(たぶん今のところ)、何もしなくてもそして生活は続いてくので、今はひたすらにそのsomethingに向かって歩いてる。誰かの待つ歩道を歩いてく。

好きなバンドが解散する

そのバンドは、私が中学生のときすごくかっこよくて好きな女の子がいて、その人が前略の「好きな音楽」の欄に書いていて、当時は数曲しか知らなかったけど、その子と仲良くなりたくて、借りてきてききはじめた。

とにかくそれをきいてたときの私は本当に、どうしてこんなに孤独なのかというくらい、とにかく寂しくて辛くて死にたくて、できれば早くこの世からおいとましたくてたまらなかった。学校を居場所と思えず、家もしんどく、少しでも早く学校を出てさらに家に帰るのを遅くするために、各駅に乗って夕暮れを眺めて泣いて乗り換えの駅から4駅くらい歩いて帰ってまた泣いたりしていて、そういうときにひたすらきいていた。ききながら、とっくに日も暮れて、だらだら幹線道路のオレンジのぼやーっとした歩道をテクテクテクテク歩いていた。そのとき履いてたスカートや、ブラウスやカーディガン、ベスト、髪型、リュック、iPod、イヤホン、いろんなものを覚えてる。肌触りとか匂いとかまで、全部覚えている。チャットモンチーの歌を聴くと、ぶわっとよみがえる。あのときの寂しさと、死にたさと、涙と、お弁当バッグの持ち手の汚れを思い出す。かかとの高いローファーを思い出す。ハイソックスのゴムが緩くなってきたのを思い出す。写メ日記をやっていたことを思い出す。ちなみにそのサーバーはなんだかよくわからないことになって、何百枚何千枚の写真は消えてしまった。大したことは書いてなかったけど、そのときからひとりごとをネットに書き付けるのが好きだったのだった。

とにかくそんなわけでチャットモンチーは私の思春期に密接に絡みついた存在だ。今も。

例の好きな女の子とはそのあと仲良くなって、チャットモンチーのライブに二人で行ったり、くみこんが抜けてびっくりしてさみしくなったり、くみこんの詩の展示会に行ってサインをもらって名前を褒めてもらったり、そんなふうに友達になって嬉しかった。

私はくみこんの書く歌詞がいいなあーと思っていた、というか好きな曲の作詞がほぼくみこんで、くみこんが抜けてからあんまりきかなくなってしまった。くみこんがすきだった。今回トリビュートが出て、くみこんの書いた歌詞の曲がけっこう入っていて、それで感極まってしまって、視聴でポロポロ泣いていたんだけど、ちゃんとアルバム買って聞いてみたらおもしろくて、よくてまた泣いて、でも最後には本家本元がいいなって思いました。

チャットモンチーの歌は、私が最も辛くて悲しかったときに寄り添ってくれた友達みたいなもので、その友達がいろんな人にとっても大切なんだと思ったら当時の自分の凍った部分がすこし溶けていくような気がして、それでまたしんみりしています。