イカサマな新素材

写真をあげたり日記を書いたりします

近況

ここ一年でずいぶん気性が穏やかになった。最近、激しく感情的になって激しく後悔したことあったかなって考えてみたけど、それももう去年のことかも。悪いことしたなあといまだに恥ずかしくなる。キレてたな…。ごめんね…。

まあ今でも怒ったり落ち込んだりはするけど、それで行動に出ることがだいぶなくなった。泣いてみたり人を困らせるようなことを言ったりすることがなくなった。つか今朝も憂鬱で仕方なくて、仕事も嫌だし遠距離恋愛について考えたりした。が、今はその感覚も嘘のように、好きなことして働いててありがたいなと素直に思うし、遠距離は遠距離で自分を好きでいてくれる人が遠くにでもいてくれるのがどれだけありがたいか、ってことも思う。

こないだ、実家に帰るって言ったら、イベントごとの時期と重なっていてめんどくさそうなことになり、心底嫌になったので「帰るの考える」と一言いってみた。そしたら母が妥協案を考えてくれて、結果みんなハッピーなところに着地して、見事だった。嫌なときはなるべく落ち着いた状況で言ってみるものだなと思った。

自分にとってすばるがエイトを辞めたことはだいぶ大きく、なんかあのタイミングで私はついに大人になってしまったなーと思う。

「そうなるのはさみしいし悲しいけど仕方ない」って思うことと、かつ、「そうなることはちゃんと素晴らしいことなんだ」ってことが、わかっていて、そういうことをフラットに思いながら、愛し続けることができる、ということが、大人になったということなら、私は大人になって本当に良かった。幸せだ。こうして一つずつ折り合いをつける戦いなのだ、生活は。丁寧にやるのだ。

で、その戦いは尽きることがない。

今は恋愛についてよく考えている。というか、自分と彼氏のことを考えている。もっと素敵になれる人だと思う。かわいく素敵に生きて欲しいなと思う。彼には彼の戦いがあると私は思う。そこに目をそらさないでいてくれたら、きっと一緒にいられるとおもう。なんてことを傲慢にも思う秋の夜である。

 

普遍的なものはすべて凡庸である。

だけど、普遍の中に、刹那のような、永遠のような一瞬が見える時があって、それは普遍でありながら同時に凡庸からの逸脱の瞬間でもある。そこに文学や芸術が宿る。

生活は手を抜くとすぐ凡庸になる。楽しく過ごすために工夫する。恋愛も全く同じだ。

どちらも、誰かとするものだからこそ、手のかけ方、抜き方の合う人と一緒にできたら、楽しいんだろうな。と思う。

彼氏の生活の楽しみ方は、私の母にめちゃくちゃ似ているなと思う。音楽を聞いて、可愛い服を探して、欲しくなって、結構買う。ちゃんとご飯を作るところとか似てる。坦々と生活できる。

たったそれだけなんだけど、そこに安心と少しの不安を覚える。