イカサマな新素材

写真をあげたり日記を書いたりします

大学3年生という不思議な時期のことを考える。

他のみんなはどうだかわからないけど、私は間違いなくあのとき無敵だった。中高生のときとは違った無敵さで、少し、や、かなり、邪だったと思う。(それは今大学3年生の妹を見ていても、ちょっと思う)

あのとき私はとてもいびつで醜かった。

長く付き合った、年の離れた彼氏と結婚すると信じきっていて、色々大事なことをすっ飛ばして考えてた。この人と結婚して子供を育てたい、と思ってたけど、それは今考えると、どうしても自分の人生から目を逸らしたくて、現実から逃避するための手段だったのだなと思う。自分の気持ちすら無視して、その人のことばかり考えていたと思う。大体のことがバカみたいに楽しくて嬉しかったけど、同時にほとんどのことが辛かった。

そんなだからガタがきて、私は一度すごい邪悪な存在になった。わかりやすく喫煙を始めて、彼を半ば裏切るような形で同い年の男の子と付き合い始めた。その人には「結婚しよう」と言われて付き合ったけど、ぶんぶん振り回された挙句、たったの半年で吹っ飛ばされて、一度全てが止まった。

あのときの自分を全肯定するつもりはないが、一度あれほど極端に邪に振り切れていなかったら、中途半端にあのときのまま、うまく自分のことを考えることができない人間として24歳を迎えていたと思う。邪な存在になって、身から出た錆によって全てが一度停止したおかげで、私は自分の人生を始めることができた。依存症の人が心から治療を決意するためには「どん底体験」なるものが必要らしい。私にとってのそれは間違いなくその時期だ。あのときのおかげで、私は男の人に自分の人生を期待することも、男の人からの性的な評価を気にすることも、一切なくなった。

だから、大学3年生のときのことを思うと、そこから始まる長い長い、私が私になるためのつらくて重要な数年の幕開けだったなと思う。

 

今好きな男に「髪が長かったときの写真を見せて」と言ったら、大学3年生のときの写真をくれた。なんというか、雰囲気が今と全然違っていて、珍妙な気持ちになりつつ、かなり胸がときめいた。「これは、女がいるね。なんか余裕がある」と言ったら、男は「そうだね。なんか余裕あるね」と笑っていた。今の私はこの写真の中の男の子を好きにならないだろうな、と思ったが、時を同じくして大学3年生だった自分なら?と考えると、もしかしたらちょっかい出してたかもなと思った。邪だったからね。

今の自分が、今の自分で良かったと思うのと同時に、彼も彼で今の彼で、今このふたりでよかったと思う。

 

あけましておめでとうございます。

 

新年早々うまくいかないなということが続いています。去年は怖いくらいにとてもいいことがたくさん続いていたので、この年始のガタガタ感は、私に「人生はままならないのだ」ということを思い出させてくれる、私を謙虚にいさせてくれる良いタイミングになったと思っている。

人生はままならない、というのは私の頭によく浮かんでいる言葉であって、というか毎日頭の中で口ずさんでいると思う。仕事終わりとか、家に帰ってきたときとか、ゴミを出し忘れたときとか。

でも神様は、ままならない中でも、自分の意思で思い通りにできる部分を十分に残しておいてくれている。それは、私が今好きな仕事をして働いて、それで稼いだお金で部屋を借りて暮らして、大好きな男の子に会いに行ったり、遊んだりするのに時間を使うこと、つまり、今の生活のほとんどは私が希望している通りになっているということだ。

 

色々あり、一人暮らしして初めて一週間家を空けた。後半は実家にお世話になっていたが、実家は優しくて柔軟だけど居心地がそこまでよくなく、非常に有り難がったけど、自分の今住む家に帰ってきたときのホッとした感は、おーこれだ、と思った。

だから大丈夫だと思った。今年も一年大丈夫です。私は私の立っている場所さえ見失わなければなんとか暮らしていける。ままならないこともあるけど、一生懸命目の前のことを頑張ろうと思います。神様、どうぞお手柔らかに、見守っていてもらえたら。